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作業。

また「モモ」の話。
道路掃除夫の掃除の仕方「一掃きして休み、一掃きして休む。そのうち遠い距離を
履いていることに気づく」みたいな話。
ああなれればいい。
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議に対しては論があり、

「お前以外の人間は全員お前じゃねえんだよ」に対して
「そう思っているのはあなただけだ」と返答したらどうなのだろう。
この2つの言葉はほとんど同じ意味だと思う。
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その時。

最も怒るべきときにこそ、絶対に憤ってははいけない。
最も喜ぶべきときにこそ、絶対に歓んでははいけない。
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道は小成に隠れ、

今更自分が言うことでもないが、失敗しないと絶対にわからないという類のものはある。
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愛憎。

何かを必要以上に愛する者は、何かを必要以上に憎むことになる。
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喜怒哀楽。

「本当だったら~だった」「~はずだった」というのは無い。
実際に起こった事が「本当」で、「なるはずだった本当」は嘘なのである。
「なるはずだった本当」にならなかったからといって苦しんだり悩む事は無い。
また、「~なるはずだったのにそうならなくて良かった」というのも無い。
「~なるはずだった不幸」というのも嘘なのだ。
苦しんだり悩んだりすることがない代わりに喜ぶこともないのはちと悲しいが、
どうしても「苦」を否定したいのなら「喜」もあまり得ようとしてはならないのだろう。
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坂道。

斜めにまっすぐ下がり続ける坂道はないかと考える。
地面をまっすぐ斜めに掘っていけば、だんだんと平坦に近くなっていって、
そのうち上り坂になるだろう。地球は丸いから。
勿論少し曲線にして掘っていけば螺旋状に道が続いていって地球の中心に至る道になる。
それは「まっすぐ」という条件に当てはまっていないが、そうせざるを得ない。
そもそも地球上に「平坦な道」はない。
もし地上に長い長い平坦な道を作れば弓なりの道になっていると感じるだろう。
こう考えていくとまっすぐに掘っても螺旋状に掘っても、
「まっすぐ斜め」な坂道などありえないという事になる。
そもそもこういうことを考えたのは近所の駅の入り口からホームに向かう道が
半分トンネル状のやたら長い坂道になっているからであるからであるが、
まあこんな話を聞いてくれる相手などいないだろうなとか。色々と。
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放言。

『ワードとウルドでワールドなんですよ』
『そうなんですか?』
『嘘ですよ』

『プラネットとマギでマグネットなんですよ』
『そうなんですか?』
『嘘ですよ』
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獲得形質。

ジョジョの奇妙な冒険第一部のスピードワゴンの台詞について。
「生まれついての悪人」なら当人に責任はないし、
「環境で悪人になった」としたらやっぱり当人の責任じゃないのではと昔思ったものだ。
理屈だけだと今もそう思う。
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創世。

神は別に天地創造しなくて自己満足しててもよかったんじゃないだろうか。
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到着。

「アキレスと亀」でアキレスが亀に追いつけないのは、
「『追いつく』事を目標にして『追い抜く』ことが出来る訳がない」から
と自分は思っている。
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視界。

視界の端というのは認識しづらい。
下の鼻のほうは少しわかるが横の端は自分には認識しにくい。
目のない生き物は「視界」が無いと思うのだがそれはどういう状態なのか。
我々が目をつぶった状態のようなものでないのは確かだ。
目をつぶっても我々は視界を持っているから。
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洗脳。

「洗脳が解けた」と言う人は怖い。
「今の自分は正しい」と信じてるという事だから。
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表明。

「自分は苦痛である」と主張する権利はあるのだろうか。
権利があっても「誰だって苦しい」と言われて終わりかもしれない。
でも「誰でも苦しい」で済むのならたいていの問題はないことになるのではあるまいか。
「自分は本当に苦しいんだ」と言う権利はあるのだろうと思う。
あっても誰も聞いちゃくれないというのはあるが。
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運命。

運命肯定はいろいろな思想、習慣、宗教の中にあると思う。
というより宗教のもともとはそれなんだと思う。「過去現在未来を肯定する」こと。
実際人生において自分に関わるあれこれをすべて「思い通り」にすることはできない。
「不本意な結果」でも「それでいいのだ」と認めること。
それが出来ないとかなり人生は大変だと思う。
そういうことができるようになるのも大変ではあろうが。
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